アイアンマン3

アイアンマン3
F市にて
アベンジャーズ」事件以降、不安に駆られて幾つものアーマーを作ったものの、最終的にはそれらを花火のように盛大に爆破させてアーマーと決別、アーマーに頼る自分から卒業、でも心はいつもアイアンマンだよ。と、トニーの成長物語を手堅く完結させた。事の発端を「1」まで辿って輪を閉じるように終わる所はちょっとダークナイトライジングに似てる。
だから、いくらマニアックなアーマーを数多く出されてもそれはオタクに対する単なる撒き餌としか思えず、アーマーに固執するトニーはもはや居ないわけで、寂しくもある。物語としては正しいんだろうが、「アイアンマン」に対する愛はあまり感じなかった。
そういえば「1」の時のインタビューでロバート・ダウニー・Jrは、トニーがアーマーと文字通り一体になるエピソードが原作にあるが、映画がシリーズ化したらいずれやりたい、みたいな事を言っていた。今回の原作エクストリミスがまさにそれだったが、結局一体にはなることはなかった。むしろ逆だ。



「次回作が今から楽しみ!」「アベンジャース2での活躍にも期待!」みたいに無邪気に期待する気分にはなれないな。というか、明らかに物語は完結してるのに「4」があったりしたらむしろ不自然だ。おそらく出るとしてもアベ2が最後なんじゃないかな。それか役者を交替して「3」の事はさらっと流すとか。
だいたい個人的には、「アイアンマン」シリーズにはヒーローもののジャンル映画としての単純な楽しさしか求めてなかったのだ。それを「アーマーとは繭だった」「アーマーなど無くても私はアイアンマンだ」と、アーマーを「いつかは卒業すべき物」と結論づけ、そういう形での成長物語としてオチを付けてしまった。
確かに物語としては正しい終わり方なんだろうけど、なにも「アイアンマン」でそれをやらなくても、と思っちゃうんだよな。

「1」は、主人公は自分に課せられた使命と責任を自覚してアイアンマンとしての活動を決意した、という話だったのに「3」で新しい監督がやって来て「1」「2」の表面を客観的に見た結果、鎧を着てるってのは、要するに身を隠したいという弱い心の現れだよね。じゃあ卒業して精神的にもマッチョにならなくちゃ。男なら。と、いかにもハリウッド映画にありがちな極普通の成長物語にしちゃったんじゃないのかな。だから「3」だけ見るとすごく正しい結末なんだけど、「1」と合わせて見ると、矛盾というか破綻というか、始まりと結末の道筋が一本に繋がってない話になってしまっているような気がしてならない。